おもしろ!
メガネワールド
おもしろ!メガネワールド >
1. めがねが日本に伝わるまで

「めがねの誕生」

 めがねの歴史をさかのぼると、13世紀・北イタリアの「水の都」ベネチアにたどりつきます。そのころ、ガラス作りの技術がすすんでいたこの地方では、とうめいなガラスを作ることができました。このことが、めがねの誕生につながったと言われています。両方の目でみるタイプとしてさいしょに生まれたのは、リベット(びょう打ち)めがね。レンズを入れた鉄の輪から出した部分をびょうでとめ合わせたものです。めがねが登場するもっと古い絵にも、これが出てきます。この後、鼻にのせる鼻めがねが考え出され、やがて両目の輪とそれをつなぐ部分が一体となったフレームが登場。
 最初は、めがねを必要とした人は、文字の読めるエリートの人々でした。しかし一方で「年をとって見づらくなるのは神さまのあたえた痛みだから、じっとたえるべき」という考え方もありました。だから、それをじゃまするめがねを人々は「悪魔の道具」と信じていたともいわれています。

 

「めがねが日本へやってきた」

 1551年(天文20年)、イエスズ会のフランシスコ・ザビエルが日本に来て、鉄砲などヨーロッパの文化を伝えました。そのとき、ザビエルが周防(すおう・いまの山口県)の大内義隆というお殿さまにおくっためがねが、初めて日本へ伝わっためがねだと言われています。外国からはじめて伝わっためがねは、大名たちにとても珍しがられ、喜ばれました。しかし、ふつうの人々にとってはそうではなかったようです。ルイス・フロイスという人がのこした「日本史」という本には、こんなふうに書いてあります。
 「…1574年、織田信長に会いに行ったフランシスコ・ガブラルたちはめがねをかけていた。その様子を見た人々はおどろき、こう言った『バテレン(外国人)にはめが4つあり、2つはふつうの場所に、ほかの2つは外にはずれた場所にあって、鏡のようにかがやき、恐るべきものだ』。」ふつうの人々にとっては、縁のないものだったことがよくわかります。

 

「徳川家康のめがね」

 あの徳川家康(1542〜1616年)も、実はめがねをかけていました。静岡県にある久能山東照宮(くのうさんとうしょうぐう)には、家康がかけていたとされるめがねがのこされています。このころのめがねは、そのほとんどが手で持って見るタイプのものでした。いまのように耳にかけるタイプが登場するのはずっと後のことです。まず、めがねの作り方について、1615年、浜田弥兵衛という人が外国から学び日本に伝えました。その後、江戸時代になると、中国やヨーロッパからめがねが当たり前に輸入されるようになります。そうなると国内でもつくられるようになり、ふつうの生活の中でもめがねがどんどん使われ始めました。そのころの職人のすがたを描いた絵の中には、細かい手作業をする職業の人が登場しています。また、浮世絵などにも、ひも付き鼻当て式のめがねが描かれています。もはや、めがねはそれほど珍しい物ではなくなってきていたのです。

 
もどる

鯖江市商工会議所(社)福井県眼鏡協会
macromeda